若いキミたちへ

昨日は自分の経験を書いた。
今でこそ、LGBTという言葉が浸透しているが、
15年前はまだまだLGBTなんて言葉は聞きなれなかったものである。
学校の中でも、ホモとかオカマとか、そういう言葉が行き交っていた時代でもある。


自分がゲイだと自覚したのは16歳の時だった。
それ以前から、異性への恋愛感情は全く持てなくて、むしろ同性へ興味が向いていた。
水泳の授業とかでも、同性の身体を見てドキドキしたり。
クラスメートと恋バナをしていて「女子で誰が好き?」とか訊かれても
なんにも答えられなかった。隠しているわけじゃなくて、本当にいなかったから。


今では、同性パートナーシップを認める自治体もポツポツと出てきているし、
15年前に比べると、ずっとマシな時代になっていると思う。
しかもネットの発達で、ゲイとの出会いのチャンスも増えてきたし、理解者も増えてきただろう。
それでも、まだまだLGBTへの偏見に悩む中高生は多いのではないだろうか。


このブログが、中高生の若い人が読むのか分からないけど、
若い人に一つだけ助言したいと思う。


それは「本や新聞を読むこと!!」である。


僕は、中学生の頃に読書の楽しさに目覚めた。
中学生の時に購読していた学習雑誌で「中学生へのオススメの本」が紹介されていて、面白そうだったから読んでみた。
面白かった!文庫本300ページくらいの厚さだったが、面白くて読む手が止まらなくて、2時間で読み切ってしまった。


それをきっかけに、もっとたくさんの本を読んでみたいと、
日曜日には、本屋に行ったり図書館に通うようになった。

幸いにして近所に古本屋があって、1冊50円で買える本もたくさんあったので、お年玉やお小遣いを使い切って、大量の本を買ってしまったこともある。


中学生にして、3000冊は本を読んだんじゃないかと思う。翌日が学校が休みの時は、徹夜してまで本を読んでしまったこともある。
両親からは「ちょっと買いすぎじゃないの?」と呆れられていたが、本を読むことは悪いことじゃないからと、温かく見守ってくれた。


大量に本を読んだ経験というのは、自分でも意識していなかったが、ゲイとして生きていく大きなスキルとなった。
なぜかというとゲイの出会いは掲示板やアプリなど「文字」から始まることが大多数だからである。
掲示板やアプリに書かれた文章を読んで、そして文章でアプローチする。


たくさんの本を読んできたおかげで、自然と文章を見る目が肥えてきた。
文章の裏側から人間性が見えてくることもある。
ニュースでは、高校生の出会いトラブルも聞かれるが、少なくとも僕にはそういうトラブルがなかった。
掲示板に書かれている文章を読んで、直感的に「ウソ」「ホント」が判断できていたから。
この人なら大丈夫だろう、と思えた人としかアプローチしなかった。


ある意味、ゲイの人生はサバイバルのようなものだ。
それでも、本を読むことで知識が増えていけば危機意識を高めていくこともできる。
実際に、出会った人の中には不審に感じる相手もいた。
そんな時は、言葉巧みに話を打ち切って、さっさと逃げ帰ったりもした。
僕は自分でも知らないうちに「言葉」を武器にすることができていたのかもしれない。


ゲイとしての大きな壁に「カミングアウト」がある。
カミングアウトするにしてもしないにしても、言葉の力は必要である。
カミングアウトしないなら、ウソをつかなければいけないし
カミングアウトするなら、どのように相手に伝えるのか。
どちらにしても言葉を選ばないといけない時は必ず訪れる。それはゲイの宿命かもしれない。


僕は、比較的広範囲にカミングアウトをしている。
しょうちゃんと同棲する時にも、両親に報告はしたけど、今思えば、言葉を一つでも誤れば、両親からの理解は得られなかったのではと思うこともある。
言葉一つで、相手の心を変えてしまうこともあるのだから。


だから若いゲイには、たくさんの本や新聞を読んで言葉を武器にできるようになってほしい。
それは必ず役に立つから。
それに本をたくさん読めるのは若いうちだけだけだぞ。
社会に出ると本を読む余裕がなくなってくるから!!

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15年目に思う

日付は忘れてしまったが、パートナーと初めて会ったのが、2003年5月のある日だった。

僕は、パートナーを「しょうちゃん」と呼んでいるので、以降はそう書くことにする。

しょうちゃんと付き合って、丸14年が過ぎて、15年目に突入することになる。

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今や「10年以上付き合っているよ」というゲイカップルもたくさんいる。
別に15年付き合っているからって、珍しがられることもない。


でも、僕らは珍しがられる。
僕が19歳で、しょうちゃんが28歳の時に出会って、今でも続いているからだ。


男女だったら、未成年で結婚をして子育てをして、というのはあるけど。
未成年から、ずっと付き合っているというゲイは、なかなか見かけない。というよりも、自分以外には知らない。


僕は、高校時代から恋愛至上主義者だった。
「愛する男性と一生を共にしたい!!」なんて、乙女思考の持ち主だった。


17歳のころから、ゲイ専用の出会い系サイトとかを使っては、彼氏を探していた。
放課後に制服から私服に着替えてこっそりデートしたりもした。
当時の自分は必死だったけど、今の自分だったら「高校生が何をしとるんじゃ?」って思うだろうな。
実際に、何人か会って、セックスもしたことがある。


我ながら、ものすごく不良生徒だったなと思う。
でも、学校や家では思いっきり優等生の仮面を被っていた。
男とデートする時は「図書館で勉強してくる」と嘘をついていた。
嘘がばれないように成績も上位を維持しては、先生や家族にも反発することなかった。
放課後や休日に男とデートをしているなんて、誰も思いもしていなかっただろうな。


でも、これだけは胸を張って言える。
僕は真剣だった。本気で一生を共にする相手を見つけたい。
遊び気分でデートとか出会い系サイトをやっていたわけじゃない!!


それなのに、出会ってもすぐに関係が終わってしまった。
1回セックスをしたら、音沙汰無くなってしまったり、
何回かのデートで「もう付き合いきれない」と言われたり。


なんで、自分はこんなに真剣なのに、相手はそうじゃないんだろう?って地団駄を踏む思いばかりしていた。
今の自分なら言える。高校生の若造が、一生の相手とか、なに寝言を言っているんだろうと思う。
実際に、今の自分が高校生から告白されたら、戸惑うかもしれない。


そして、19歳の時にしょうちゃんに出会った。
初めて会った時から「僕は愛する人と一緒に暮らしたい願望がある」と熱弁してしまった。
しょうちゃんは「自分はそんな気持ちは全くないけど」とかなり温度差があった。


しょうちゃんと別れたとき、僕は「この人と付き合うことはないんだろうな」と思っていたけど、翌日にメールがあって「良かったら週末に一緒に代々木公園を散歩しませんか?」と誘いがあった。


なんで、代々木公園?と思ったけど、断る理由もないから、次の土曜日に公園を散歩した。ベンチに座ってジュースを飲みながらおしゃべりしたり。


今まで出会ってきた男は、デートと言えば飲み屋だったり、ホテルだったりしたけど、
公園に誘ってくれた人はしょうちゃんが初めてだった。
もっとこの人と穏やかな時間を過ごしたい!!そう思えた。
一緒に暮らせなくても、この人と付き合いたいと思った。


そして、出会ってから1か月後のこと。
しょうちゃんからメールがあった。
「ちょっと考えたけど、よかったら一緒に暮らしませんか」と、まったく思いもしなかった言葉が出てきた。
それこそ、二つ返事で「是非とも一緒に暮らしたいです!!」と即刻で返信した。


そして、両親にしょうちゃんを紹介して、いろいろ心配されながらも、同棲することを認めてもらった。
しょうちゃんに出会って、半年経たずの2003年10月から同棲を始めた。


僕に対して「よく19歳から、そういうことをしようと思ったね。すごいね」なんて言われるけど、僕は自分の気持ちに素直に生きてきただけで、本当にすごいのは、こんな僕を受け入れたパートナーと両親だと思う。


長くなったので、続きはまた明日。

運命

人の出会いも運命だけど、物との出会いも運命だと思う。

 

僕は子供のころから絵を描くことが大嫌いだった。

もちろん図工とか美術の授業とかも嫌いだった。

 

中学生くらいから読書の楽しみを知って「僕も物語を書いてみたい」と小説家を志していた時期もあった。ゲイ向けの雑誌に小説を投稿したら掲載されたこともあった。こんな僕が毎日漫画を描くなんて、自分でも思いもしていなかった。

 

僕が23歳の頃。

19歳から同棲しているパートナーが、精神疾患で仕事を続けるのが難しくなって退職して無職になった。しかも、僕は僕で、憧れだったマンションを購入してローンが始まったばかりだった。
パートナーの収入が無くて、住宅ローンに追われて、とにかくお金が無かった。

 

当時23歳だよ?まだまだ遊びたい年頃だよ?それなのにお金がなくて、どこにも出かけられないんだよ。パートナーのほうが9歳年上なんだよ?なんで僕がパートナーの金銭的な面倒も見なきゃいけないの?
正直、パートナーと別れたいと思ったこともあった。

 

でも別れなかった。
昨日も書いたけど、僕は完璧な人間じゃないし、完璧になりたいとも思わない。
こんなダメな僕も受け入れてくれるのはパートナーくらいしかいないだろうなとも実感していたから。

 

だから「遊びたい!」という気持ちを昇華できる趣味を見つけようと思った。
お金が無いから、もちろんお金を使わない趣味を。

おもちゃ屋や雑貨店に行っては、なにか家の中で遊べそうなものはないかなと、あれこれ探し回ってみた。
マスコットやぬいぐるみを作ってみようかなと裁縫道具を買ってみたり、
小物やミニチュアを作ってみようかなと粘土を買ってみたり。

もともと不器用で、図工や美術が大嫌いだった自分が、こんなことができるわけがない!!
ちょっと考えてみればわかりそうなものなのに、結局は裁縫も粘土も失敗続きで挫折してしまった。
お金をかけないはずが、逆に散財してしまった。

 

そんなときに、たまたま立ち入った雑貨屋で一風変わった画材を見つけた。

ぺんてるの「マルチ8」という商品だ。
一本のペンで、8色の色鉛筆が使える。
多色のボールペンとかならしょっちゅう見かけるが、色鉛筆は珍しい。
「絵を描きたい」という気持ちよりは「この画材を使ってみたい」という軽い気持ちで、衝動買いをしてしまった。

 

この画材で絵を描いてみたら、楽しかった!!
あれほど絵を描くのが嫌いな自分が、絵を描くのが楽しいなんて思うなんて。
もともと絵を描くのが嫌いだから、上手に描こうなんて思わなかったからかもしれない。
(絵を描く楽しさを知ったときに、デジタルイラストにも挑戦しようと思ってペンタブを買ったけど、数回程度しか使わずにクローゼットにしまいっぱなしになってしまったのである。)

 

小説家になりたかった自分。そして絵を描く楽しさを知った自分。
25歳の頃に「漫画を描きたい!」と思った。でも、漫画ってどうやって描けばいいの?と
書店で漫画の技法書を探してみたり、通信講座で勉強もしてみた。
そうして、ついに28歳の時にpixivデビューした。

 

もっと漫画を描きたいから時間を作りたいと、会社勤めを辞めて新聞配達員に転向した。1日4~5時間の実働で、残りの時間はたっぷり漫画に使える。
会社員時代に比べて収入が下がったけど、23歳の頃の貧乏時代を思えば苦にならない。

 

思えば、たった一本の画材で、自分の人生をここまで変えてしまうなんて、
人との出会いも運命的だけど、物との出会いも運命的としか思えない。

 

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アナログとデジタル

僕には、心の底から信頼して大切に思う親友がいる。
4月30日に、親友の家に遊びに行ったときに、親友が「ブログを始めたんだ」と教えてくれた。

 

pixivでも、自分の想いを漫画にして投稿しているけど、
ブログという形で、こう頭の中でモヤモヤしている思いを
打ち明けるのも楽しいかもしれないと思って、僕もブログを開設してみた。

 

さて、記念すべき1弾目の投稿。なにを書こうか?

 

僕は、漫画の絵は完全にアナログで描いている。
シャープペンシルで線を描いて、色鉛筆で着色をして、スキャンしてセリフを入力して、そしてようやくpixivに投稿している。

 

デジタルで描く人が多数派になっている時代で、どうしてアナログで描くことにこだわるのか。
別にこだわっているわけじゃない。デジタルにも長所があるということは分かっているし、デジタルにも挑戦しようと思って、10年前にペンタブを買ったこともある。

 

このブログでは、ダイレクトに絵を描くことができるそうだ。
クローゼットで眠っていたペンタブを、10年ぶりに掘り起こして描いてみた。

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・・・うん。なんだろう。
画力云々のレベル以前に、もうね、はっきり言って楽しくない!!

 

シャープペンシルと色鉛筆で描いていると「うわ~、相変わらず下手だな。」と思いつつも、自分の作品に魂が入っていく感覚がして嬉しく感じるんだけど。

 

なんでだろう、デジタルで描いてみたら、「うわ~。下手だな。ここを修正してみよう。もう一度描き直してみよう」って終わりが見えない無限ループに入ってしまったような気がする。気持ちを込めて描く余裕がなくなってしまった。
だんだんめまいがして気持ち悪くなってきた。

 

今、こうして感じたのは、アナログは「不完全であることが許される」、デジタルは「完璧さを要求される」のかもしれない。

 

色塗りを例にしてみる。
色鉛筆で塗ると、自分の意志とは無関係に色ムラは発生する。
パソコンで塗ると、ムラが出ることなく美しい単色になる。

 

デジタルは確かにきれいだと思うよ。でも「キレイすぎる」んだよ!
僕は普段から、細かいことは気にしない。完璧な人間じゃないし、完璧になりたいとも思わない。
ちょっとくらいダメなところがあってもいいじゃん。

 

僕はそう思いながら生きている。
デジタルで絵を描くと、色も線もきれいに出るから、
それに見合った「完璧な」絵を描かなきゃと思ってしまった。正直、しんどい。
不完全な絵を描いていく方が自分らしいと思う。ちょっとくらい歪みやムラがあった絵が僕らしい。自分の生き方ではデジタルは合わないのかもしれない。

 

シャープペンシルと色鉛筆で描いた、いびつな自分の作品は決して嫌いじゃない。
今回デジタルを使ってみて、改めてそう思った。

だから、僕はこれからもpixivではアナログで描いていこうと思う。

 


ただ、10年前に買ったペンタブにこうして日の目を見せられたことは嬉しかった。
デジタルで絵が描けないと思いつつ、10年もペンタブを捨てずに大切にしまっていた。
きっと、自分の中で、デジタルに挑戦したいという気持ちがずっと残っていたんだと思う。

 

だから、これからこのブログではペンタブを使ってデジ絵を描こうと思う。
どうせ誰も見ることない自己満足的なブログだからいいよね。